学校に行くのに乗っている列車は川を何本か渡る。河川敷にぶわっと桜が咲き並んでいて、携帯に日記を入力している手を止めてそれを見た。ボックス席で向かい合って目の前に座っているおじさまも、Rich Lifeという本を読む手を止めてそれを見た。こういう瞬間が私は一番好きなのだ。
今日は生成AIを使わずに1日過ごしてみる。使わないことが目的なのではなく、自分がどのように生成AIを使ってきたのかを体感するためだ。〇〇断ち、〇〇デトックスといった実践はもはや古いというか素朴すぎると思っており、今必要なのはそれを超える何かである。「何か」が何なのかはまだ分からないが、少なくともそれは分析を土台にしていると思う。デジタルデトックスというキャンペーン的なものに安易に飛びつく前に、「自分はいつデジタルな機器を使うのか?どんな時には使わないのか?」「自分はデジタル機器にどのような面において依存していて、どのような面では依存していないのか?」といった問いを入口にして、対象と自分との間にどのような交渉が発生してきたのかを慎重に検討するべきなのだ。