今読んでいる本に文体が似るというのは恐ろしいことで、必死に書き上げたものが「君の文章って○○みたいだね」と一蹴されてしまう可能性がある。しかし最近入力した情報のスタイルを自分からの出力にも反映させてしまうことは端的にいって学習の成果であり、それは音楽や踊りでも同じことなのではないか。 最近聞いた音楽のリズムや和声やメロディが自分の作品にも似た形で現れる、なんてことはどんな音楽家にもありそう。もちろん、歌い方や演奏の仕方もそう。芸術性や作品性が認められないような単純な模倣は道義的にも法的にも許されないだろうが、要は程度の問題である。吸収したスタイルの模倣はあくまで端緒であるべきで、その後自分の感性に落とし込む過程が必要になる。友人が「コード進行に著作権はない」と言って好きな曲のコード進行を使った別な曲を作ったりしていたのを思い出した。メロディが似ると怒られそうだけど、コード進行やリズムが似ても怒られそうにはない。これは単純に、コード進行やリズムは似ても仕方ないくらいバリエーションが少ないということの証左かも。 ともあれ、高校生の時は村上春樹みたいな書き方が好きだった。大学生になってレポートや論文を書く中で、文体にも手続きというか規範があるんだということが詳しく分かり、規則正しく書くことと規則を破って書くことを意識的に行えるようになったことで、自分の書き方がなんとなく定まってきた。そうやって自分の文体のようなものができたが、最近は毎日読書をするのでそのとき読んでいる本の影響を強く受けている自覚がある。