よくこんなに食うな、と自分でも感心するくらい大きなおにぎりがリュックサックの一番上に入っている。列車に乗るときは本を読むがすぐにしまって降りられるようリュックサックの口を開放しているので、その中から米と海苔の温かい匂いがほわほわと立ち上ってくる。うちでは前日に予約しておいた三合の白米(といっても雑穀が混ざる日も多い)が朝一番に炊き上がり、私と妻はそこから朝食と昼食の主食を確保してきたのだが、最近では私の必要とするご飯の量があまりに多いので朝にもう一度炊飯するようになっている。私の朝食であるおにぎり(味付け海苔4切れ付)は少なく見積もっても1合以上のご飯でできているし、昼食の弁当に詰めるごはんもやはり、1合以上のご飯でできている。私がたくさん食べている様子を見た人には「細いのによく食べるね」あるいは「そんなに食べてよく太らないね」とよく言われるし、私も不思議だと思うこともあるけれど、太ったことがないので不思議さの実感はない。妻には燃費が悪いと言われる。そう言われると生きているだけで地球環境に対して人一倍負荷をかけているのでは?と心配になったりもするが、もっと燃費の悪い生き方をしている人もいると信じているので気にしない。 好きな食べものを尋ねられるとすごく悩むが、あれはどうしてあんなに真剣に悩んでしまうのだろうか。とりあえず上位で思いついたものを答えたとしてもなんら不利益はないのに、なぜか「私の真に好きな食べ物」というものを正しく答えるべきだと感じる。これが誠実ということだ。自分への誠意でも、相手への誠意でもある。誠意ある人は嘘をついても発覚せず不利益も生じない状況で、それでも本当のことを言おうとする。それゆえ誠意とは不可視かつ不可知のものなのだ。