地球環境に関する大規模な問題の議論において、楽観派と悲観派の対立を見る場面は多い。地球温暖化は現に起きている、いや起きていない。人間の活動が影響している、いやしていない。正直私の意見は「そんなもの分かるわけねえだろう」というもので、では対策は不要かというとそんな訳もなく、推し進めたいのは【念の為行動】である。心配だから念の為、という動機での対策は個人の家なら許される。会社でもまぁ許される。地球規模、国際規模となるともう不可能である。経済と政治が追いついてこれない領域にあるのだ、念の為という態度は。つまり多次元的な世界の統合とは糞であり、我々は自分の暮らす敷地の環境についてしか真剣に考えることはできないのである。「地球を守ろう」も「気候変動はウソである」も胡散臭いのは、こういった本来思考可能な面積を大きく逸脱した傲慢で広範な議論を無批判に押し付けようとするからである。